余談1:パラダイムをめぐって(その1)(2016.12.12)

リストに戻る


パラダイムという言葉を出したついでに,もっと脇道にそれます.科学史の文脈でパラダイム,あるいはそれに類した術語(パラダイム等と言うことにします)を使うということは,自然界を探究する科学という知的営為を,自然界そのものとは分けて考えることでしょう.

posted at 17:27:38

なぜならパラダイム等の術語は(「等」という字は以下省略),複数のパラダイムの存在が前提です.自然界は一つしかないのに複数のパラダイムがあるのですから,自然界の法則でパラダイムが決まるのではないことになります.

posted at 17:27:51

だからパラダイムを語る人は,必然的に自然界と,その探求である科学を別々に考えているはずです.これは私が自分流の下手な表現で言うまでもなく,科学論の常識でしょう.科学史の研究は,程度の差こそあれ,このような認識を前提にしています.

posted at 17:28:04

数学への関心から数学史・科学史に入ってきた私にとっては,これは大変わかりやすい.たとえば行列やテンソルは自然界にもともと存在するわけでないけれど,それで自然法則が記述できます.しかしそれが唯一可能な自然記述ではない.

posted at 17:28:14

一方で多くの科学者は,単純な知識や理解の拡大,法則の発見の歴史が科学史であり,科学の真理は一つと考えています.これはパラダイム論と相容れない態度で,いわば科学史という分野の否定です.しかも科学史学会の会員や役員でも,無意識にそう考えている方は少なくないようです.

posted at 17:28:26

そういう方々はパラダイム論を全否定するのが一貫した態度だと思うのですが,そのあたりはどうなっているのでしょうか.あるいは,自然法則に照らして正しいパラダイムを判定できるとか,パラダイム間に客観的な優劣があると考えているのでしょうか.そうなるとポパー派でしょうか.

posted at 17:28:40

実際に科学史を研究して過去の学説を検討していけば,そういう「パラダイムを採点する」試みは,まず絶望的に困難であり,しかも,(さらに大事なことですが)過去の科学に対する我々の洞察を深める助けにならないことが分かるはずです.

posted at 17:28:59

言ってしまえば,科学が単純な知識の増大や真理への接近であるとか,パラダイムに優劣がつけられるという意識は,概説書だけ読んでいて研究をしたことのない人だけが享受できる心地良い幻想です.それをまた教授する人も少なくないのですが(こんなこと言ったら票が減りそう!)

posted at 17:29:10

学会は自由な意見の交換の場ですから,まさか入会にあたって「あなたはパラダイムを信じますか」って聞くわけにもいきません.知識累積,真理発見的科学観をお持ちの方ももちろん歓迎です.

posted at 17:29:22

しかし,科学の歴史を学んでいけば,パラダイム論的な見方が科学史を深めること,別の言い方をすれば,真理発見的科学観やパラダイム採点的科学史は平板で面白くないこと,に気がつくのではないか,個人的にはそう思っています.今日は選挙に関係ない話に終始しました.

posted at 17:29:52


前を読む次を読む