日本科学史学会役員選挙(2007〜2008年度)
会長への立候補(自薦)にあたって.

斎藤憲

2006.12.13

今回の選挙で私は会長に立候補しました.このサイトで会員の皆様に私の考えをお伝えしたいと思います.

しかし,科学史学会の選挙管理委員会は100文字の記述しか認めていません,この制限には根拠がなく,しかも現職に圧倒的に有利です.これには大変不満ですが,選挙管理委員会と事を構えても仕方がありませんのでこのサイトを開くことにしました.

投票は2007年の2月5日(月)から2月28日(水)までです(28日の消印まで有効).私の意見にご賛同いただける方は是非投票をお願いいたします.

目次を兼ねたページ内リンク

0.学会は誰のもの?

「内輪の人」と「その他大勢」

学会の理念として会員は平等です.しかし,現実問題として投稿・発表など積極的に学会活動を行なう会員と,主に刊行物を受け取るのみの会員がいることは事実です.これはある意味では学会の目的にもかなった自然なことでしょう.また会員の間に学会との関わりの濃淡があることは,自由な入会を認める学会である以上当然です.

そこで,科学史学会の会員が,大学で科学史に関わる専任教員(あるいはそれを目指す若手研究者)と,そうでない会員とに二分されるというイメージをお持ちの方もいらっしゃると思います.しかし,これは科学史学会の現状の的確な描写ではありません.私の見るところ,この学会は「内輪の人」と「その他大勢」で構成されています.「内輪の人」に大学関係者が多いことは事実ですが,私自身をはじめ,大学関係者であっても「その他大勢」でしかない会員も少なくありません.また,誰もが認めるすぐれた業績を持つ国際的な研究者が,学会では「その他大勢」であることさえ珍しくありません(私のことを言ってるのではありません,念のため).

ガラスの壁の内側の人々

「内輪の人」と「その他大勢」とは眼に見えないガラスの壁で仕切られています.「内輪の人」が属する学会の中核部分には,私のような「その他大勢」はどうしても入れないようです.自然に「内輪の人」になる方もいれば,私のように,どうしても「ガラスの壁」のどこかにあるはずの入り口を見つけられずに馬齢を重ねる(?)人間もいるようです.ついでに言えば,この「ガラスの壁」はマジックミラーになっていて,内側からは外にいる「その他大勢」が見えないのではないかしら,と思うこともなくはありません.

「内輪の人」たちは全体委員に就任し,学会を運営しています(なぜ「民主的」な選挙で「内輪の人」ばかりが当選するか,その秘密は下の4.選挙についてをご覧ください).その運営が適切なら私としても大きな異議はありません.私自身が「その他大勢」であろうが何であろうが,研究発表の場を与えてくれる学会は有難いものです(研究者でない会員はどうしてくれる,という問題については下の1.学会の刊行物:会費に見合う内容を!で提案をいたします).

「内輪の人」による運営の行き詰まり

しかし近年の学会運営は,お世辞にも芳しいとはいえません.『科学史研究』のページ不足,会員の不祥事への後手に回った対応などをその例としてあげることができるでしょう.私の見るところ,近年の事態は,「内輪の人」による「内輪の人」のための学会運営が機能不全に陥っている結果です.「内輪の人」による学会運営をすべて否定するわけではありません.気心の知れた仲間が委員会を構成していれば,意思決定が容易で,さまざまな事態に柔軟・迅速に対応できることもあるでしょう.しかし,現在の学会の各委員会は,次々起こる問題に適切な対応ができていません.なれ合いと惰性という,「内輪の人」による運営の欠点ばかりが目立ちます.

以下,学会に関してさまざまな提言をしますが,その意図するところは一つです.「内輪の人」による「内輪の人」のための学会運営は,かつてはそれなりの機能を果たしていたのかもしれないが,もはや不適切である.会員の声に耳を傾け,科学史の研究者と教員をサポートし,科学史の愛好家を大事にする学会に変えていこう,ということです.

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1.学会の刊行物:会費に見合う内容を!

9千円のモトは取れているか

会員は年に4回,『科学史研究』を受け取ります.定価は1400円で,1年分が5600円です.あの薄っぺらい『科学史研究』が本屋に売っていたら1400円出して毎号買うか?・・・という意地悪な質問は考えないことにして,『科学史研究』1年分が5600円というところから出発しましょう.A会費9千円はこれよりかなり高額です.他に「科学史通信」がありますが,これはまさに「通信」で,これを受け取ることは「特典」とは言いにくいでしょう.一方で,会員には年会や支部例会への参加と,論文投稿の権利がありますので,純粋に金銭的に見れば会費と『科学史研究』の価格との差額は,この権利のためにあるということになります.

しかし会員は一千人にも及びます.その中で論文や記事を投稿する人は少数です.年会や各支部の例会に参加する会員を合わせても,到底一千人に及びません.私の想像では,会員のおよそ半分は,論文投稿や会合への参加をほとんどされていないと思います.するとこれらの方々は年に5600円にしかならない科学史研究を9千円で購読して,学会の財政を支えてくださっていることになります.

これは大変有難いことですが,しかし,そのような善意に寄りかかり,あまつさえ会員数の増加を願うことは少々あつかましくはないでしょうか.会員が一千人を越えて増加することを願うなら,科学史に関心のある「普通の」人,つまり大学教員でもなく,論文の投稿先を探しているわけでもない人(愛好家)が,年会や例会に出席できなくとも,9千円の価値を見出せるサービスがあってしかるべきです.

科学史通信の拡充を

科学史通信は,物不足の終戦後であるまいし,どうしてあんな小さい紙に最低限のことしか書いていないのでしょうか.科学史通信を衣替えし,せめてB5版48ページ程度のものとして,研究論文でなく,科学史・技術史・科学論などの各分野に関する研究動向や,トピックを紹介する記事を掲載してはどうでしょうか.『科学史研究』の「アゴラ」を思い切り拡大するイメージです.幸い科学史学会は日本の科学史の研究者の大多数を会員としていますから,原稿に困ることはないでしょう.また,会員には大学をはじめ,中学や高校の現職の教員も少なくありません.そういう方々の授業に役立つ記事も是非必要です.

他の学会の例をあげれば,日本数学会の「数学通信」には数学者でない人でも読めるさまざまな紹介記事が載っていて,これを受け取るのはなかなか楽しみです.印刷費はもちろんかかりますが,会員数が100名も増加すれば容易に補える金額でしょう.

このような「科学史通信」の拡充は科学史という分野全体がどうにも振るわない現状を打破するためにも(これについては5.学会活動全般の見直しも関連します),すぐにでも行なうべきことだと思います.

『科学史研究』の抱える問題点

『科学史研究』編集委員会は先般,掲載論文の不足で減ページという失態を演じました.後でそれを増ページで埋めたわけですが,それは論文でなく,国際学会の発表要旨です.これは論文と同等の査読を経ているわけではないので,要するに水増しでつじつまを合わせたわけです.長い間論文不足で自転車操業を続けながら,「投稿論文が少ないのが問題だ」と述べるにとどまり,なんら抜本的な対策を考えなかった編集委員会は「怠惰」ではないのでしょうか.

なぜ論文が足りないのでしょうか.論文を書く側の一人として言わせてもらえば魅力がないからです.とくに,50枚という制限枚数は厳しすぎます.しかも分割掲載で長い論文を書くことも認められません.その人の研究スタイルにもよりますが,50枚では最初から投稿の対象になりえないという研究者もいるでしょう.『科学史研究』をどう変えるべきかは,多くの方の知恵を借りなくてはなりませんが,論文の長さの制限を緩和することは絶対に必要です.

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2.会員の処分規定について.

不祥事をめぐるゴタゴタ

最近,ある会員の不祥事が問題となったことについては「科学史通信」にも断片的な報告があります.それによれば2005年の「科学史学校」のうち一回がこのため中止になっています.プログラムを発表してしまってからこのような事態になったのは醜態以外の何ものでもなく,対応が遅れたことも大きな問題ですが,ここでは個別の問題に深入りすることは避けます.一般的に会員の不祥事にはどう対応すべきなのでしょうか.

今回の問題で多くの人が気づいたのは,現在の学会の会則には不祥事を起こした会員に対する処分の規定がないということです.会費の滞納に対して除名の処分が定められているのみです.これはいくら何でも不都合です.

最低限必要な処分規定とは

そもそも学会が会員を処分するべきかどうかについては議論がありましょうが,少なくとも学会の存立そのものを危うくするような行為には処分規定があってしかるべきです.その例としては,まず研究の剽窃があげられます.また他人の研究を妨害する行為も処分の対象となって当然です.ここにセクシュアル・ハラスメントやアカデミック・ハラスメントが含まれることは言うまでもありません.

処分の内容は除名の他に,役員選挙の選挙権・被選挙権の停止,年会への参加や学会誌への投稿の禁止・制限なども考えられます.

今から処分規定を作っても,昨年来問題となっている案件に適用することは困難かもしれませんが,将来の類似の事態(あってほしくないことですが)に備えて会則の整備が必要なことは明らかです.しかるに執行部が会則の改正について何も提案しないのは,怠慢の謗りを免れません.

会員の処分に関する規定について原案を全体委員会がまとめ,総会に諮るべきです.

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3.総会の議決について.

議長委任では翼賛議会だ

科学史学会の最終的な議決機関は総会です.しかし毎年の年会の折に開催される総会に出席できる会員は限られています.したがって,執行部が準備する総会の議案は,事前に会員に示して,出席が不可能な会員に,書面または委任による議決権行使の機会を与えるべきです.これは会員の意見を反映する民主的な学会運営のための最低の条件でしょう.

しかし科学史学会では,総会に参加できない場合は議長への委任をすることしかできません.会則には委任状を認めるとしか書いてありませんが,学会から送付される書類には議長委任の欄しかありません(書面による議決権行使は会則にもありません).議長は当然,執行部提案の議案に賛成するでしょうから,現状では,執行部提案はすべて可決されることが最初から決まっているも同然です.これではまるで翼賛議会です.

このような慣行が長年維持されて,誰も異論を唱えないところに,科学史学会の最も根深い問題を感じます.要するに学会の真の構成員は「内輪の人々」で,その人々の間の意見の調整ができていれば,昔はそれでよかったのでしょう.

議決権行使書,または指名による委任を

今となってはこれでは困ります.総会での議長への委任は廃止すべきです.執行部提案は必ず詳細な内容を科学史通信に掲載したうえで,出席不可能な会員は書面での議決権行使,または本人が指名する別の会員への委任が出来るようにすべきです.(ついでながら,科学史通信に手違いで掲載されなかった学会賞創設の議決は手続き的に無効ではないでしょうか.今さらやめられないというなら,次回総会で改めて議決して追認すべきです.この手違いは「内輪の人々」による緊張感を欠く学会運営を象徴するように思われます.)

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4.選挙について.

100文字しか書けないのはなぜ?

選挙公示の「科学史通信」における「推薦理由」の記載スペースは100文字以内とされています.このホームページを作った最大の理由はこの制限にあります.

学会の運営を託する会長,全体委員を選ぶ選挙で,こんな馬鹿げたことがあるでしょうか.会員は千人もいるのです.立候補者全員について,名前を見ただけでどんな人か分かる人は千人の会員のごく一部です.現職・研究教育歴・業績・学会運営への抱負など,候補者がどのような人物か分かる資料がなくては投票のしようがありません.投票に必要な情報を提供するためには100文字では全く不足です.

さらに,現在委員をつとめていて,再選を目指すのなら,委員としてどのような活動をしたか,全体委員会には何回出席して,どのような意見を述べたのかといった活動実績も明らかにするのが当然の責任ではないでしょうか.

内輪向けのメッセージ:「微力を尽くします」

しかし過去の例を見ると,そのたった100文字も使わずに「微力を尽くします」のような無内容な文章しか書かない人が問題なく当選しているのです.

しかしこれは不思議ではありません.「内輪の人々」でない一般会員の大半は気力を失って投票しません.また,選挙公報で100文字しか書けないのでは,どんなに意欲があっても「有名人」でない限り当選する見込みはほとんどありません.だから立候補者もおのずから限定されます.すると数の上ではそれほど多くない「内輪の人々」の投票で役員が決まってしまいます.だから自分が誰であるかも述べずに「微力を尽くします」と書くだけで当選できる人は当選できるのです.

結果的に選挙は有名無実

民主的な選挙の形式だけは整っていますが,候補者に関する情報を100文字に制限することが選挙を有名無実化しています.しかも100文字という制限は役員選挙細則にも定められておりません.したがって,根拠のない勝手な制限で会員は実質的な選挙権を奪われているのです.役員選挙は「内輪の人々」だけが委員になるシステムで,その人々が後継者を事実上指名しているといえましょう.これでは世界のあちこちにある独裁政権と大差ありません.これを変えることが,会員のための科学史学会を実現する第一歩でしょう.

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5.学会活動全般の見直し.

危機にある科学史

学会を取り巻く情勢はここ10年ほどで大きく変わってきています.大学では,STSや科学コミュニケーションといった新しい分野を別とすれば,科学史そのものは退潮・消滅の危機にあるといっても差し支えないでしょう.学会の全体委員会も危機感を持って対応しているとは思いますが,これまで確保してきた制度的なパイをいかに守るかということに重点があったように思います.

しかしこれだけでは,率直にいって先細りです.これまでの学会のあり方に限定されず,広く科学史に関心を持つ会員を増やし,科学史の裾野を広げるにはどうしたらいいか,真剣に考え直すべき時期にきています.

十年一日の学会活動

私は1980年から会員となっていますが,この四半世紀を通じて学会の活動は大きく変わってないように思われます.年会の開催形式,学会誌の体裁など,見事に十年一日です.国立科学博物館における科学史学校は(昨年の失態はさておき)有意義な事業ですが,期待したほどの広がりを見せていないという意見もあります.

これらの活動内容を何が何でも変えるべきだと言っているのではありません.しかしどういう不満や要望があるのか,会員の意見・要望を聞いて,学会のあらゆる活動について再検討するべき時期に来ていると思います.

一つだけ例をあげれば,年会の発表はずっと以前から一律に1件20分です.しかし特に希望する発表には,予稿を審査のうえ,もっと長い時間を割り当ててもいいでしょう.他の学会では当たり前に行なわれていることです.これはあくまで一例ですが,科学史学会ではすべてが前例を無批判に踏襲して,惰性で行なわれていることの証明です.「内輪の人」による運営の弊害と申せましょう.これでは学会の学会の活力が失われます.

会員の意見・要望を集めて

といっても私の限られた経験では出てくる知恵も限られます.あらゆる方法で会員の意見を求め,学会のすべての活動のあり方について見直すべきでしょう.

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6.なぜ委員でなく会長に立候補したのか.

たとえ三十人の委員の一人に当選しても,1対29では何も実現しない.

一度も全体委員の経験のない一会員の私が突然会長に立候補するのは,それを禁止する規定はないとはいえ,異様なことです.学会を変えたいと思うなら,なぜ当選の見込みが多少なりともある委員に立候補しないのか,という疑問を持たれた方も多いと思います.

最初は委員に立候補することを考えました.しかし,「ガラスの壁」と私が呼んだ学会の二重構造を考えると,三十人の委員の一人になっても,ここで述べた提案の一つでも実現できるかどうか,おぼつかないものがあります.仮に私が委員に当選したとしても,他の二十九人を相手に委員会で声を張り上げるだけで終わるかもしれません.学会で千分の一の私が,全体委員会で三十分の一の私になっても,大勢に影響はないのです.学会を変えるには私一人ではまったく無力です.これはたとえ会長になっても同じことです.

多くの会員が学会の抱える問題について考える契機となれば

だから大事なのは,私が何らかの役職に就くことではなく,多くの会員の方に現在の学会の抱える問題(と私が考えるもの)を認識してもらうことです.委員に立候補しても三十数名の立候補者の一人にすぎませんが,会長に立候補すれば,せいぜい数人のうちの一人です.多くの会員の方に,一瞬立ち止まって私の主張を考えていただくことができるかもしれません.

当選できなくても得票数が多ければ学会は変わりうる.

もちろん,会長に立候補するのでは当選する見込みは非常に低くなります.当選するわけはないと言われても返す言葉がありません.しかし落選しても,私の意見に賛同する方の投票がある程度集まれば,今回の選挙で当選する会長・委員の方々が,そういう意見の存在を認識することになるでしょう.「内輪の人」たちも悪意はなく,単にこれまでの惰性で状況の認識が遅れているだけなのだと思います.だから,ある程度の得票があれば,そこから学会が変わっていくことが期待できます.そこであえて会長に立候補することを選びました.

逆に私の得票数がわずかであれば,学会の現状が追認されたことになります.今後もこれまでと同様の学会運営が続くことでしょう.しかし得票数次第では状況はまったく別のものとなるはずです.どうか一人でも多くの方のご支持をお願いする次第です.

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立候補者のプロフィール

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最後までお読み頂いたことに感謝いたします.学会を皆のものにするために投票をお願いいたします.