そろそろ会長選挙立候補の公約に戻るべきですが,先日(12月12日)はパラダイムの話で脱線しました.科学論が専門の方から見れば私のまとめ方それ自体も落第かもしれませんが,なぜ脱線したかには理由があります.
科学史学会には,他の専門をお持ちの方,研究者でない職業の方,さらにそれを退職された方も入会されています.そういう方がご自分の専門的知識を生かして科学史的な研究をされる場合に,適切なサポートが出来ればいいのだが,と考えてみました.
退職後の数学者の数学史研究というものがあります.重要な貢献もある一方で,「専業の」研究者から見ると,歴史研究と言い難いものもあります.数学史に限りません.科学史は現在の知見からの過去の科学の採点ではない,という基本認識がないことが多いのです.
これを何とかできないか,と考えたときに気がつきました.科学史学会で科学史家として通用している人でも,「過去の科学の採点」「知識の累積モデル」「発明発見偉人伝」的なものが科学史だと思っている人は結構いるのです.
かなり前ですが,年会で18世紀の活力論争に関する発表がありました.力はmvなのかmv^2(mかけるvの2乗)なのか,という有名な論争です.発表後のディスカッションの時間に,こうコメントする方がいらっしゃいました.(続く)
(承前)「(maを)時間で積分すればmvで,距離で積分すればmv^2になるというだけのことじゃないか」しかしこう言ってしまうと,18世紀の活力論争の当事者は,揃いも揃って簡単なことが分からない馬鹿だったことになります.(それに係数2分の1がないから積分しているわけではない)
現在の視点で過去の科学を採点していくと,行き着く先は「昔の人は馬鹿だった史観」です.この発言者は科学史学会の会員なら誰でも名前を知っている有名な方でした.つまり科学史学会では「過去の科学のことを調べる」という以上の,方法論や基本認識が共有されていないのです.
単に理系と文系の違いではありません.西洋古典学会やギリシャ哲学セミナーでは,明らかに一定の前提や規範が共有されていて,その上に研究発表があり,それに対する突っ込んだ議論がなされています.西洋古典学にはパラダイムがあるのです.
何も科学史学会で研究のパラダイムを確立せよと言うわけでも,ましてや「知識累積的科学観の一派を粛清せよ」などと言うわけでもありません.粛清しちゃうと人がいなくなるとか,逆にこっちが粛清されちゃうかも,といった理由ではなく,学会は自由な議論の場だからです.当たり前ですね.
しかし,他の経歴を経てきた方が科学史に関心を持って入会されたとき,科学史とはどういう学問かという情報がないのは困ります.少なくとも,科学史のかなりの部分は「知識累積・発明発見物語」的な歴史記述への批判から成り立っている,ということは知らせたいものです.
ところが,個別の発表や論文はどうしても自分のタコ壺を掘ることになる.他の専門学会の会員は大学や大学院でパラダイムを叩き込まれていますから,タコ壺でもいいのでしょうが,そうではない科学史学会では全体の展望のないタコ壺の集合体にしかならない.
その点で2014年の『科学史研究』の特集「科学技術史の現在・過去・未来」(269-271号)は素晴らしいものでした.非会員で日本の科学史ってどうなっているのよ,という方は是非ご一読を.3冊6千円で買う価値は十分にあります.この後やむを得ない事情で編集長は2回交代しました.
この特集をさらに補充して本にすることを考えてもいいでしょう.会員数では日本科学史学会の半分もいない化学史学会が900ページ近い『化学史事典』を編集したのですから(化学同人から2017年1月発売),出来ないはずはありません.
逆にこの特集を短くまとめて新入会員にお渡しするのはどうでしょう.科学史専業でない会員へのサポートという観点です.